今回の私の取り組みは、「母」についてだったように感じています。一般的に、母という存在はやさしく温かく・・・と言われますが、私にとっての母は強烈な影響力のある、外見は違うけれどアマゾネスのような強さという存在です。
最初に飲んだ、郁子さん命名の「Kindergarden」は楽しげな赤い花をつけるエッセンスです。
幼稚園という意味なのですが、この時期の記憶は私にはあまりありません。
覚えているのは喘息とプールには入れなかったこと、小学校受験をした事。小学校受験では、さんざん母に叱られた事。
よく考えてみると、母には「学歴は重要だ」というコンプレックスがあり、長女だった私はその思いを一身に受けました。
本人の中では必死でしたが、母のとおりに出来なかった私は「良い子」ではなく、それをイライラしながら怒られても、ずっと「ギユッ」と固まりながらやり過ごしたことが奥に眠っていたのです。
さすがに大人になった今では母の愛と分かるものの、子供の時には実に重い愛だったようです。
エッセンスを飲み始める少し前、私は自分の意思でクリスチャンになりました。
通っている教会では、毎年イースターやクリスマスの頃に洗礼があり、多くの女性が洗礼名に「マリア」をつけます。
それほど親しまれているマリア様ではありますが、私は何だか斜め視線で、皆のように「マリア様、大好き」という気持ちが持てませんでした。
それはマリア様→キリスト様の母→母は怖いじゃない、という図式が心の奥深い所にあったのかもしれません。
ですから、私の洗礼名に「マリア」はありません。
今思えば「やっぱりつけておけばよかった」なのですが、実は、私が洗礼名にした人は「マリア様大好きすぎて書簡や個人の紋章にまで「M」をつけた男性」だと最近知りました。
セッションが終わってから、母の意に反して、聖歌隊に入りました。
入るのにはそれなりに悩みましたし、反対もありましたが、昔から守っていた「母の意に反しないことをしない」という壁を少し崩したのです。
すると、聖歌隊には実にたくさんの母がいて、全く違う愛情表現で子どもを深く愛している事が分ります。
そして、ちょっと(かなり?)母性が高ぶりすぎてしまう事があることも。
また、同時に母と繋がって意外な伏線がありました。
それは美に関することです。
私の母は美に関しても非常に難しい感性を持っています。
私のセンスに悲観している母にどうにか黙っていてもらおうと、一時モデルを目指した事もあります。
そこでは沢山の美しい子達と仲良くなりましたが、本格的にモデルを目指す事は出来ませんでした。
訓練すればあるレベルまでは行けますが、私は声や音楽を通しての表現の方が自然に出来るのです。
そのうえ、プロデュースしてくれる方としっくり来なかったのです。
そこではその方のお気に入りになれば、たくさんのサポートがありましたが、お気に入りでなければ無視です。
私は無視状態でしたが、能天気能力を発揮し、お気に入りの子に対する行動を見ていました。
今にして思えば、そのプロデュースしてくださる方の行動は、やはり「母」なのです。
もちろん、大なり小なり演出がかってはいますが、原石を持つ子を育て上げる、という意味ではエージェンシーの母なのだなぁ、と思いました。
ようやくそのように思えた頃、私は母になりました。
母と言っても、自分で赤ちゃんを産んだわけではありません。
クリスチャンの洗礼時に必要な「Godmother」と呼ばれる、代母です。
私より年上の子供ですが、いつも心にかけて、見守り、時には助ける。
本当の子供ならもちろん、もっと大変でしょうが、少しだけ母の気持ちに近づけたように思います。
私は母から産まれましたが、母とは違う母性があるのだと思います。
母のアマゾネスのような強さではないかもしれませんが、どのような母になるのか?
まだ答えははっきりしていませんが、セッション前には、何となく自分の内なる母に漠然と不安を抱いていたのが、少し晴れて前向きに考えられるようになったと思います。
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