エヴァ・ピエラコス著「パスワーク」の中でこんな記述があります。
「多くの人にとって何かを犠牲にして自己を責めさいなむ方が、自らの暗い側面を直視して取り組むよりも楽だからです。自己の暗黒面を直視しないことで生じる罪悪感は、いつも自己剥奪によって贖われ、それが天国への門であると考えられています。ところが、人格が心の中の暗黒にじかに取り組まなければ、この罪悪感は拭いされません。」
なんだかちょっと重たげ、ですよね。
実は先日、私はこのことを改めて見つめ直す機会を得ました。
少し長くなりますが、宜しければお読みになって下さいね。
スカーレットモンキーフラワーという「怒り」の感情に対するフラワーエッセンスがあります。
ふと自分の中に理由は分からないけれどこのエッセンスを必要とする部分があると感じて飲んでみました。その中で気がついたことは、私は「感情の激しさ」をさらすのを苦手としていたということでした。
これには訳があります。
父方の親戚には何故か気性が激しい人が多いのです。一方で母方の方は比較的穏やかなように感じていました。
(人間ですから、必ずしも簡単にそう割り切れるものではないのですが、単純なラベリングをしてしまうところが私の中のエゴでもあるのです)
私にとって「感情の激しさ」というものの象徴が父方の血筋であり、父方、母方と相反する血が自分の中に流れている、ということがうまく受け入れきれずにいたのです。
私は普段穏やかに見られるようで、そんな自分がふと激しい感情を見せた時に相手に驚ろかれたりします。
私自身が過敏に感じている部分もあるのですが、そんなことがあると自分というのものが
嘘つきのように感じてしまうのです。
なんだか二つの顔を持っていて、人を欺いているような気持ちで、居心地が悪い。
そんな感じでしょうか。
何年も前にそのことには取り組んだつもりでいましたが、「そんな自分もまた良し」と十分に自分の中で受け入れきれていなかったようです。
ところでこのことを受け入れきれなかった時、私はいったいどういった行動に出るかというと、たとえば言うべき時に強く言うことができなかったり、自分を下にして相手に仕えてしまったり。
自分を後ろめたく思う罪悪感からそんな行動をとってしまい、「私ってどうしてこうなんだろう?」と自分を責めることになったりする訳です。
本当のことを見たくないばかりに何重にも自分に対してトラップをかけていたのだ、ということを改めて気付きました。
正直に自分を見つめていくということは、本当に勇気がいることです。
ですから、勇気が出るまで時間稼ぎをする、というのも私は「あり」だと思っています。
でも勇気を出した時には怖かった分と同じだけ、やすらぎが得られる筈です。
「なぁんだ」とほっとするのです。
暗闇のお化けと一緒で、電気をつけたらお化けでもなんでもなかったりするんですよね。
最後に少しだけ、そんなプロセスを助けてくれるフラワーエッセンスを。
恐れる気持ちが強い時に
アスペン、ロックローズ、ファイブフラワー、チェリープラム、セントジョンズワートなど
自分の「影」の部分を見つめていく時に
ブラックアイドスーザン
長くなってしまいましたが、最後まで読んで下さりありがとうございました。
~2009年5月配信のメルマガ記事より~